偽善と一蹴されがちな綺麗事の真価とは?~心が豊かになる実践論~



どうも丸山です。おめでとうございます。今回は「綺麗事」という話です。

綺麗事と言うと「表面だけ取り繕う」「体裁だけ整える」とネガティブな意味合いをイメージしませんか?

先に言うと、これは大いなる勘違いです。世間に引っ張られています。

私は綺麗事が好きです。なぜなら真の意味での綺麗事は心と人生を豊かにする素晴らしい力を持っていると確信しているからです。はい、かなり力強い言い方をしました。なぜそこまで言えるのか。
もしあなたが綺麗事に疑いがあるのであれば、私の自分語りが入っていますがしばしお付き合いください。

1. 綺麗事って、どういう意味?〜表面的な解釈と本質的な意味〜

一般的には他人や社会の目を気にして本心ではないのに良い行いをすること、つまり偽善と同じような意味で使われがちです。例えばチャリティイベントや募金活動などを見て「どうせ裏では利権が絡んでるんだろ」「寄付金の使い道なんてわかったもんじゃない」「見せ物にしやがって」と感じる人もいるかもしれません。

しかし考えてみてください。「綺麗」という言葉自体は本来とても良い意味で使われますよね。「綺麗な部屋」「綺麗な車」「綺麗な人」などポジティブな意味合いで使われるはずです。であるならば「綺麗事」を単純に解釈すれば「綺麗なことを行う」というそのままの意味で捉えることができますよね。

さらに類似していると勘違いされる偽善についても言及してみましょう。
「偽善」は継続していると「本物の善」へと変わっていきます。本心か否かに関わらず、たとえ自身の利益のためであったとしても相手や社会にとって良いことをしていることに変わりはないからです。継続するうちに心も真に「善」へと変化していきます。

2. かつての私は「綺麗事」が嫌いだった〜心底腐っていた過去の自分〜

今でこそ「綺麗事って素晴らしい!」と力説している私ですが昔は真逆の人間でした。
言うのもはばかられますが、それこそ24時間テレビのようなチャリティ番組で障がいのある方々が歌ったり芸能人が募金を呼びかけたりする光景を「ヘドが出る」「どうせ金だろ」「しょうもない」といった腐った見方をしていました。
「上辺だけの偽善」と捉えていたのです。

当時の自分を殴りたくなりますね今振り返ると性根の腐ったどん底の時期だからこそネガティブな見方しかできなかったのだと思います。視野が狭くなにも分かっていない。世の中には心から良い人たちがいること、そして「綺麗事」と呼ばれる行いの延長には純粋な「善意」があるということに気づけていませんでした。

3. 心が本当に変わるまで6年。その道のり〜一足飛びには変われない〜

私がこの「綺麗事」に対する認識、そして人間関係やコミュニケーションに対する考え方が変わるまでには実に6年もの歳月がかかりました。

良い心を持っていない人がいきなり良い心にジャンプするということはできません。人が変わっていくには必ず順番と段階があります。今これを見ているということはあなたも変化の段階にきています。

出来事に全て必然です。すでにあなたの心が「善」を向いている証拠です。あるいは元々心が良い状態である方もいるでしょう。いずれにせよ、まだ「綺麗事」を偽善と捉えてしまう人にこそ私は伝えたいです。こんなにも素晴らしい世界がありますよ!と。

4. 「綺麗事」を実践するということ〜小さな一歩が大きな変革に〜

綺麗事を実践するとはどういうことでしょうか?「いいと思ったことは躊躇なくやってみる」ということです。

定番の例で想像してください。荷物を持ったお年寄りが赤信号になりそうな横断歩道をまだ渡りきれていない。そんな場面に遭遇したらあなたはどうしますか?「他の人が手伝うだろう」「偽善に見えるかな」と躊躇するかもしれません。

しかし他人や世間の目を気にする必要は一切ありません。あなたが「手助けしたい」と思ったならばそれを迷わず実行するんです。心が善に向いていない人は偽善を想像することすらできないので思った時点で立派ですが、思ったならやればいいんです。継続していくことであなたの心が本物になっていきます。実体験なので確信を持って保証します。

まとめ

「綺麗事」とは決して上辺だけの行いではありません。やればやるほど自分自身の心が磨かれます。周りの世界をも美しくしていく行為です。

角だらけの岩が川の流れによって長い年月をかけて丸く磨かれていくように、一つ一つの「綺麗事」の行動が私たちの心を本物の善へと磨き上げてくれます。お互い頑張りましょう。

ありがとうございました。


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