「普通」という名の不思議:普通ってなに?
どうも丸山です。今回は私たちが日常で何気なく使う言葉、「普通」とは一体何なのかということについて考えていきたいと思います。
「普通はそうだよね」「あの人は普通じゃない」私たちは日々の会話の中でこのように「普通」という言葉を頻繁に使います。それは平均であったり多くの人がそう考えるであろう共通認識のようなものかもしれません。しかし「普通」という言葉が時に私たちを悩ませ、時に誰かを傷つける力を持つことを私たちは認識できているでしょうか。
「普通」は誰のもの? - 個人に宿る「普通」という概念
私があなたにお伝えしたい最も重要なことは「普通」というものはそれを語ったその人にしか当てはまらないということです。私が「普通はこうだ」と述べたとしてもそれはあくまで私自身の経験や価値観に基づいた「普通」であり、あなたの「普通」とは異なる可能性があるのです。
例えば「普通、携帯電話は電話をするものだよね」という人がいるかもしれません。しかし現代において携帯電話は電話機能だけでなくメールやSNS、情報収集など多岐にわたる用途で使われています。あなたにとっての「普通」はもしかしたら携帯電話で動画を見ることであったり、ゲームをすることかもしれません。
このように私たちが「普通」だと信じていることは実は個人的な経験や解釈に大きく左右されるものなのです。
共有された「普通」の幻想 - 同じ時代を生きるということ
「ちょっと待ってくれ。普通はそうだよねと言ったら同じようにそう考える人もいるじゃないか。合意形成ができることもあるじゃないか」そのように思われることもあるかもしれません。確かに私たちが「普通はこうだよね」と発言した際に相手も「そうだね」と同意することがあります。
これは私たちが似たような時代を生き、同じような情報に触れ、共通の文化や社会の中で育ってきた結果ある程度の共通認識や「当たり前」が形成されるからです。同じような考えを持つ人が集まれば「普通はそうだよね」という合意が容易に生まれるでしょう。
しかしここで注意すべきなのはその共通認識も決して絶対的なものではないということです。それは特定の時代、特定のコミュニティにおける一時的な「普通」に過ぎない可能性があるのです。
「普通」という名の境界線 - 異物を排除する力
自分の「普通」を絶対的な基準として捉えてしまうとそこから逸脱するものを「普通じゃない」と判断して無意識のうちに排除しようとしてしまうことがあります。これは自分と異なるものを危険と認識してしまう人間の本能的な防衛反応かもしれません。
「自分は普通じゃないからコミュニケーションが取れない」と悩むことがあるかもしれませんがそれは全くの思い込みかもしれません。あなたの生きる世界ではあなたが普通なのです。誰かに「普通じゃない」と言われたとしても、「この人はそう思うんだな」と、ただ事実として受け止めれば良いのです。
「普通である」「普通ではない」という二元論に囚われることは可能性を狭め多様性を否定することに繋がります。
「自分の普通」と「相手の普通」- それぞれの世界を尊重する
大切なのは自分の「普通」は自分の「普通」、相手の「普通」は相手の「普通」と明確に区別して理解することです。あなたの「普通」が誰かの「普通」と異なることは決して異常なことではありません。それぞれの経験や価値観が異なるからこそ生まれる自然な現象なのです。
自分の「普通」の範囲だけで生きようとすることは世界を狭め新たな発見や成長の機会を失うことにも繋がりかねません。
「普通」の呪縛を解き放つ魔法の言葉 - 「それは誰が考えたの?」
もしあなたが何かに対して「普通はこうあるべきだ」と感じて心がモヤモヤすることがあれば、ぜひこの魔法のキーワードを思い出してみてください。「それは誰が考えたの?」 という問いかけです。
この問いかけを自分自身に投げかけることで「普通」という曖昧な概念の根源を探りそれが絶対的なものではないことに気づくことができるはずです。そして、その呪縛から解放され、より自由な思考と行動を選択できるようになるでしょう。
まとめ
私たちは無意識のうちに「普通」という言葉を使い、時に縛られています。「普通」とは誰かによって定義された絶対的なものではなく、私たち一人ひとりの内側に存在する相対的なものであるということをご理解いただけたなら幸いです。「普通」という概念に囚われずあなたらしく、そして他者も尊重しながら生きることを心から応援しています。
ありがとうございました。


