「ダサい」と言われたら?落ち込まない考え方と対応策
どうも丸山です。今回は「ダサい」という話です。
もしダサいと言われたことがある、あるいは今でも言われることがあるということがあればどのように考えてどのように対応すれば落ち込まなくなるのか。そのヒントをお届けしていきます。
ちなみに服装は全く関係ありません。ファッションの話ではありませんのでご了承ください。
1:「ダサい」と言われた時の気持ち
もしあなたが誰かに「ダサい」と言われたとしたら傷ついたり落ち込んだりするかもしれませんね。
これは人から「かっこよく見られたい」「可愛く思われたい」「よく見られたい」という気持ちがあり自分では変えられない他者からの評価に影響されて感情が動く状況と言えます。
あなたが自分自身のことをダサいと思っていないのに人からの評価では「ダサい」となる、あるいは世間一般の常識から見てズレているから「ダサい」と言われる。
こうした他者からの評価や否定に対して私たちはどのように向き合えば良いのでしょうか?
2:「ダサい」と言われるのはなぜ?他者の評価と基準
なぜ人は「ダサい」と言ってしまうのでしょうか? なぜあなたは「ダサい」と言われてしまうのでしょうか? 以下が代表的な理由です。
- 他者からの評価であること: そもそもダサいという評価はあなた自身ではなく他者の基準や常識に照らした結果です。その相手が持っている当たり前や常識の中に無いことをあなたがした時にダサいと判断されることがあります。
- 相手の劣等感や否定: もしかしたらダサいと言った相手があなたに対して何らかの劣等感を覚えていたり自分にはできないことができる人だと感じていたりする場合があります。その裏返しとして攻撃的にダサいという言葉を使っているのかもしれません。自分と違う人を見ると反射的に否定をしたくなる人も一定数います。
いずれにしてもダサいという言葉はそれを発する相手の基準や内面に基づいている可能性が高いと言えるでしょう。
3:落ち込まないための心の持ち方は「言われてありがたい」
言われた時に落ち込まないためにはどう考えれば良いのでしょうか? ここで思考の転換をしていきます。
「誰に何と言われようと構わない」→「言いたい人には言わせておけばいい」→「言ってくれるだけありがたい」という流れです。
なぜ「ありがたい」なのでしょうか? それはそもそも他者があなたのことを認識していなければダサいと思われることさえないからです。あなたに何か言葉を投げかけてもらえるということ自体が他者からの認識がある証拠なのです。それがどんな言葉であったとしても言ってくれるだけありがたいと思考の転換をすることが解決策となり得るのです。
4:すぐに受け入れられない時の具体的な対応は相手を「肯定」する
とはいえダサいと否定された場合すぐ受け入れるのは難しいものですよね。
そのような場合に相手にどのように反応するのが良いのでしょうか?これは否定をしてきた相手に対して肯定してあげると良いんですね。
例えば相手に「ダサいな」と言われたら
- 「そうなんですよ、ダサいんです」
- 「分かってるけどやるんです」
- 「素晴らしい角度からの指摘ですね。それは自分では気づかなかった。なので参考にさせていただきます」
- 「よく気づきましたね。さすがです。」
このように相手の言葉を受け入れ肯定するような言葉を返すのです。
なぜこのように対応するのでしょうか? それはもしあなたが相手の否定に対して「いや、そんなことないよ」「これがいいと思ってやってるんだ」のように否定で返してしまうと「戦い」になってしまうからです。特に個人間の戦いは同じ程度の相手としか発生しないものであり相手の土俵に上がることになってしまいます。戦う姿勢を示さずに相手の言ったことを肯定してあげることで攻撃をしてくる人は大人しくなったり離れたり、中には味方になったりすることさえあります。
他人を根本的に操作することは難しいです。相手がダサいと言ってくるのをどうにかしたいと思ってもそれはできないことなのです。重要なのは自分がどう受け取るか、そしてどう返すかです。そうすることで相手が勝手に変わっていく可能性があるのです。
この対応は思ったことと違うことをあえて言葉として喋るということです。言われて心の中では「ありがたい」なんて到底思えないとしても言葉として「そうなんですよ。ありがとう。」と言うことはできるのです。これは感情と理性の違いです。自分の感情を整理するためには理性を使うことが非常に効果的です。
5:最も大切なことは自分がどうであるかは「自分で決める」
結局のところ一番大切なのは何でしょうか?
それは「自分がダサいかどうかは自分で決めたらいい」ということです。
自分がどうなのかということは他人に決められることではなく自分で決めるべきことです。自分で決められない他人の考えをどうにかしようと時間を使ってもそれは徒労に終わることが多いです。元も子もありませんがダサいかダサくないかなどということは実はどうでもいいことです。それよりも心の在り方が大切なんですね。
まとめ
誰かに「ダサい」と否定された時、すぐに「ありがたい」と思えなくても言葉として相手を肯定するという理性的な対応をとることは可能です。また相手が「ダサい」と言うのは相手の当たり前や常識に基づいた活動であると理解してあげることも大切です。
そして何より自分がどうであるかの最終的な判断は自分自身に委ねられているということを忘れないでください。他人の評価で生きていくことほど無価値なものはありませんよね。
ありがとうございました。


