【警鐘】自己犠牲は本当に美しいことなのか?立ち止まって考えてみよう

どうも丸山です。

今回は「自己犠牲」というテーマについてお話ししていきます。 昨今「自己犠牲」という言葉をよく見聞きするようになりましたよね。昨今どころか大昔から使われてきた表現ではないでしょうか。

美徳とされる「自己犠牲」のイメージ

一般的に自己犠牲は尊い、素晴らしいと捉えられがちです。 自分を犠牲にして相手のために何かをすることは美しい行為、美徳であると考えられることが多いですよね。 近年の書籍などでも人間関係やコミュニケーション、心の持ち方といったテーマで「自己犠牲」という言葉が登場することが多いように感じます。

自己犠牲に対する疑問

しかし、この「自己犠牲」という言葉をそのまま受け止めることは危険です。自分自身を犠牲にしてまで相手のために何かをしている状況があるならば、それはやめた方がいいです。 自己犠牲が尊いというイメージは確かにありますが「犠牲」という言葉を使っている以上、あなた自身がないがしろになっている可能性があるのではないでしょうか。

自分を後回しにして他人や世の中を持ち上げるような構図は第三者から見れば美しく映るかもしれません。 しかし、自己犠牲をする当人になった場合、その活動は本当に自分にとって良いことなのでしょうか? 端的に言えば、やりたくないことを無理にやること、それが自己「犠牲」の本質です。

自己犠牲を続けることの危険性

やりたくないことをやり続けると、どこかで自分自身に過度な負荷がかかり、心という器が割れてしまう可能性があります。 そこまでいかなくとも不満が蓄積していくことは想像に難くありません。

「自己犠牲」という言葉で現状を正当化したり、あたかもそれが美徳であるかのように捉えられている風潮に僕は疑問を感じます。 もしかしたら自己犠牲を推奨する裏には、何らかの意図やプロパガンダが隠されている可能性さえあるかもしれません。疑いすぎですか?そうでもないと思いますよ。

自己犠牲から抜け出すために

もしあなたが今、やりたくないことを仕方なくやっていると感じているなら考え方を変えてみませんか?

  • 今やっていることが、自分自身、相手、組織、世界にどのような影響を与えるのかを考えてみる。
  • 「やりたくないけどやる」のではなく「やりたいからやる」という意識に変えてみる。
  • 思えなくても「やりたいことをやれている」「楽しい」「誰かに喜んでもらえる」と口に出して言ってみるのも有効です。 言葉にすることで思考が変化していくことがあります。

「犠牲」と感じながら行動していると心の中に負の感情が蓄積していきます。 そうならないためにもまず「犠牲」という感覚を手放すことを意識してみてください。

内容が内容なので一応言っておきますが、僕の行っているコミュニケーションに関する活動は決してやりたくないことではありません。 心の底からやりたいという思いが溢れており、それを表現しているに過ぎません。

まとめ

「自己犠牲は尊い、美しい」と言われることが多いですが、「犠牲」という言葉の裏には自分自身をないがしろにする危険性が潜んでいます。 自分を大切にすること、そしてやりたくないことを「やりたい」と思えるように思考を転換することが重要です。

ありがとうございました。

\ 最新情報をチェック /

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です