その説教、本当に意味がありますか?無価値な説教が組織と人を壊す理由
どうも丸山です。おめでとうございます。今回は「無価値な説教」という話です。
上司と部下、教師と生徒、親と子。こうした関係には説教がつきものですよね。
その説教が相手の成長につながる「価値あるもの」なのか、それとも誰も得をしない「無価値なもの」なのかを考えたことはあるでしょうか。
ということで説教の本質とその弊害について、特に無価値な方にフォーカスして解説します。
1. 説教の価値を決める決定的な違い: 感情or教育
説教には価値のあるものと無価値なものの2種類が存在します。その違いは極めてシンプルです。
- 無価値な説教: 自分の感情に任せて行うもの。
- 価値のある説教: 相手を育てるための教育として行うもの。
世の中は人格者ばかりではありません。何らかの報告や相談を受けた際、つい感情的に物申したいという欲求に負けてしまう人が大多数です。本来の意味での説教は宣教師が信徒に教え諭すことです。つまり教育ですね。叱る怒るではないということです。
だからこそどちらの意味で扱うかによって価値無価値が決まるんですね。
2. 現場の士気を著しく低下させる可能性
組織活動において、最前線で動いているメンバーはいわば兵士のような存在です。リーダーの役割は彼らを鼓舞することであるはずなのに、感情的な説教は士気をわざわざ下げてしまう行為に他なりません。
怒られて喜ぶ人間はいません。たとえ反骨精神で「やってやるぞ」と奮起したとしても、それは決して「嬉しい」というポジティブな感情ではありません。特に現場が動いている最中に感情で偽説教をすることは組織全体の利益を損なうことにつながります。
3. 謝罪が招く自己肯定感の低下
感情的な説教を受けた側は反射的に「すみません」「申し訳ございません」と謝罪の言葉を口にします。この謝罪には注意が必要です。
感情で説教をする側にとって、相手の謝罪は自分の満足感を得るための道具になってしまっているケースがあります。相手に無理やり謝らせるような状況を作ることは言われた側の自己肯定感を下げるだけです。プラスの要素は一つもありません。
4. 賢い兵士はもうあなたの話を聞かなくなる
感情的な説教を繰り返すことの最大の代償は「信頼の喪失」です。
頭の回る人であればあるほど「この人はこういう時に感情をぶつけてくる人なんだ」「今ここで言う必要はないことなのにわかってないな」と冷静に判断します。一度思われてしまうとそれ以降その人の言うことを真面目に聞かなくなってしまいます。能力の低い上官認定です。残念ながら。
まとめ
無価値な説教はする側にとってもされる側にとっても、そして組織全体にとっても百害あって一利なしです。
- する側の立場なら: その言葉は教育なのか、単なる感情の発散なのかを一度立ち止まって考えましょう。
- される側の立場なら: もし感情的な説教に遭遇したら無価値なものだと割り切り必要以上に自分を責めたり反省したりする必要はありません。
コミュニケーションにおいて感情をコントロールすることは非常に重要です。無価値な説教を卒業して真に価値のある対話を目指していきましょう。
感想ご意見ご質問、遠慮なくコメントしてください。
ありがとうございました。



